2012年10月14日日曜日

Martell

俺が何かを作る時や始めようと思ったとき、
それが他人の為にしている事でもあった場合、自分は常にある程度のプライドを持って取り組む事を心がけている。
礼儀でもあるし、適当に済ませた物を評価されるのが嫌だからだ。
良い評価をされれば当然自信となるし、幼稚だったり不出来だという評価をされたとしても、そのプライドによって、次のステップに行くために必要だと思った+αの知識や技術は自分で学ぶという向上心に繋がる。

誰かと一緒に新しい事を始めようと思ったとき、そこには個人でやる以上のクオリティを実現させるためであったり、効率を重視するためであったり、その他多くの利点がある。
当然、仲間との相性が合わなかったり、意見の食い違い等で思うように行かない部分もある。
しかし利点はそれ以上にあるからこそ、世の中には様々な集団がいる。

同士で意気込んで始める。
自分には技術も知識もないから、知らない事は全部出来る人にやってもらう。
でも立ち位置だけはできるだけ目立つところに居たい。

知らないという事も、目立つ位置にいたいという気持ちも全く問題はない。
しかし、自分がやりたくて始めた事なのに、学ぶ気は一切ないというスタンス。

何のために始めたのか。

自らやりたいと思った事ならば、学ぼうと思うものじゃないのだろうか。
ただの自己満足、延々と身内のみで楽しむ為にやっているのではなく、他人に楽しんでもらうのが目的ならば、ほんの少しでもいいからプライドを持って取り組む事をするべきなんじゃないだろうか。

知らぬ場で極一部の人間が苦労して作り上げたモノ。
自分の手が加わっていない、いつの間にか出来たモノを眺め「コレを自分達が作ったんだ」と酔いしれる。
それが楽しいのだろうが。それがやりたい事なのだろうか。

プライドを持たず、積極的に関わる事もしない。
出来る人に任せておけば大丈夫。
責任を負うのは自分ではなく他の誰か。

過去、同士を募って何かをやるという事の難しさを学んだ自分であっても、
己のやりたい事なのに向上心は一切ない、全部人任せという考え方は理解できない。